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「総括的検証2.0」が必要だ(下)
―マクロ経済政策の枠組み転換に向けて―

2017年9月28日(木曜日)

1.「出口」戦略の検討

(「出口」政策の進め方)

さて、常識的に考えて日銀が2%の物価目標を達成するのは暫く先のことである。その意味で「『出口』戦略の検討は時期尚早」という見方も分からないではない。しかし、QQE開始から4年半も経って「出口」の展望も示さず金融緩和を続けるのは無責任という点を別にしても、筆者は以下の2つの理由からごく大まかにでも現時点で「出口」戦略を検討し、それを世に示していくことが必要だと考える。第1に、確かに短期金利の引き上げやバランスシートの縮小といった現在FRBが進めつつある(進めようとしている)本格的な「出口」のオペレーションを始めるのは2%目標達成の後だろう。しかし、現在日銀が行っているYCCの枠組みには米国等にはない長期金利のターゲットが含まれる。そして、長期金利ターゲットはインフレ率が2%に達しなくても、例えばエネルギーなどを除いた基調的なインフレ率が1%に近づけば調整される可能性がある。つまり「出口」戦略の第1弾は意外に早い可能性があるということだ(注1)。第2に、後述する「出口」で日銀が直面する損失の規模は今後の政策の進め方によって大きく変わる。したがって、損失を抑制しようとすれば、それは当然今後の政策の進め方にも影響するが、損失発生のメカニズムを丁寧に説明することなしに、この点を市場に理解してもらうことはできないからである。

そこでまず、「出口」戦略が今後どのような順序で進められていくかであるが、この問題に関する答えは比較的簡単だと思う。おそらく上記のように、まず長期金利ターゲットの引き上げが行われ、2%目標達成の前後でマイナス金利廃止、次いで2%達成を見極めてから短期金利の引き上げ、さらに時間をおいてバランスシート縮小へと進んでいく可能性が高い。マイナス金利があまりにも金融関係者から不評であることから、一部には「まずマイナス金利撤廃」との意見も聞かれるが、本稿(上)でも述べたように、物価目標達成前に景気後退に見舞われるような場合、日銀にはマイナス金利の深掘り以外ほとんど選択肢がない。そう考えると、日銀が早々にマイナス金利という手段を放棄することはないと筆者は思う(最初にマイナス金利撤廃というのは、あくまで金融機関関係者の希望的観測ではないのか)。

(YCC調整を巡る諸問題)

長期金利ターゲット調整の議論を始める前に、YCCの性質について一言しておこう。YCCは決して長期金利を固定するものではない。為替制度に例えるなら、固定制(peg)ではなくadjustable pegに近い。だから物価というfundamentalsと整合的な限り、海外金利などから上昇(下降)圧力が掛かってもターゲットは維持される一方、fundamentalsとの乖離が生じるならターゲットが調整されると考えるべきである。この点、YCC導入直後の市場には日銀の長期金利コントロール能力への懐疑的な見方があったようだが、中央銀行の長期金利への影響力は為替より遥かに強いうえ、日銀の場合、すでに長期国債発行残高の4割以上を買い占めているわけだから、米国金利が多少上がってもターゲットは十分維持可能だと筆者は考えていた。日銀が比較的フレキシブルに「指し値オペ」を使って長期金利のコントロール力を誇示したこともあって、今では筆者のような見方が市場でも主流になっているようだ。

したがって、長期金利ターゲットが調整されるのはインフレ率、特にエネルギーなどを除いた基調的なインフレ率が1%程度まで上がってきた時だろう(注2)。そして、為替のadjustable pegもそうだったが、この調整を行う時に困難に直面することになる。これまでのところ市場ではあまり意識されていないようだが、長期金利の調整にはオーバーナイト金利の調整とは根本的に異なる難しさがあるからだ。すなわち、まず第1にオーバーナイト金利を動かしてもキャピタル・ゲインやロスは生じない。もちろん実際には、オーバーナイト金利が変更されれば債券価格も株価も為替レートも反応するだろう。しかし、中央銀行としては「我々が動かしたのはオーバーナイト金利だけであり、それ以外は全て市場が決めたこと(キャピタル・ゲインやロスは自分達の責任ではない)」と主張できる点に大きなメリットがある。これに対し長期金利を調整すれば、直ちに勝者と敗者(キャピタル・ゲインを得る者とロスを蒙る者)が生まれる。多くの中央銀行はこれを極めてuncomfortableに感じるだろう。しかもこの際、政府=財務省が最も重要な利害関係者となる。これも、長期金利ターゲットの変更を難しくする要因となることは避けられない。

第2は、明確なフォワード・ガイダンスが可能なのはオーバーナイト金利についてだけだという点である。例えば、昨年末来のFRBの市場とのコミュニケーションを振り返ると、ほとんど「来月のFOMCではFF金利を0.25%引き上げる」と明言しているに近いフォワード・ガイダンスが行われてきた。しかし、10年債の金利について「来月の政策決定会合では長期金利ターゲットを10ベーシス引き上げる」などと言おうものなら、今日直ちに長期金利は上昇するだろう。したがって、長期金利に関しては「インフレ率が十分高まれば、長期金利ターゲットを引き上げる可能性がある」といった曖昧なフォワード・ガイダンスが精々となる。YCCを導入することで日銀は従来のサプライズ戦略を改めることができたが、長期金利ターゲットの調整が日程に上ってくれば、日銀の政策決定は再びなにがしかのサプライズを避けられなくなるだろう。

このうち前者の問題に関して筆者は、10年債の金利ターゲットを例えば20ベーシス引き上げる代わりに、目標とする金利の期間を10年から8年に短期化するといった方法を採ることも可能ではないかと考えている(注3)。この場合、10年債の価格を直接指し値するわけではないので、日銀にとってのuncomfortableさの程度はずっと和らぐはずだ。実は、このアイデアは2010年のFRB内での検討を踏まえたものである。当時FRBでは量的緩和以外にどういう金融緩和手段があるかについて内々に検討を進めていたが、その中には(実現することはなかったが)長期金利ターゲット案が含まれていた(注4)。より具体的には、2年程度の長期金利ターゲットからスタートして、仮に金融緩和効果が不十分であればターゲット期間を徐々に長くしていくという案も検討されていた。日銀はYCC導入の際、一気に10年金利ターゲットに飛び込んだが、FRB内での検討を逆方向に考えれば、インフレ率が高まり金融緩和の程度を緩める場合には目標期間の短期化という選択肢があり得るということになる。いずれにしても「総括的検証2.0」において、上記のような「出口」政策の進め方について日銀はもう少し詳しい説明を行うべきではないか。

(金融緩和の「出口」で発生する日銀の損失)

「出口」に関わる次の問題はQQEの財政コスト、すなわち「出口」で日銀が巨額の損失を蒙る可能性である。これは、QQEのような量的緩和政策は「長期国債を低金利(=高価格)で買い、高金利(=低価格)で売る」ため、あるいは市場で売却しないならば「低利回りの長期国債を抱えて、高い金利を超過準備に付す」ために生ずるものだ。より現実性の高い後者のケースで考えると、日銀は現在約400兆円の長期国債を保有しているが、その利回りは0.3%程度である。一方、日銀は約350兆円の超過準備を負債サイドに抱えている。現状では、当座預金に付される金利は階層構造にしたがって+0.1%、ゼロ、-0.1%に分かれるが(注5)、いずれにしても保有国債利回りを下回るので日銀はキャリー利益を得ることができる。

しかし、かなり先の話であるとしても、ひとたび2%の物価目標が達成されて金利引き上げ局面に入れば、現在FRBで行われているように超過準備に付利が行われることとなる。その場合、(資産サイドの利回りが2.5~3%と言われるFRBとは大きく異なり)0.25%単位で2度利上げを行うだけで逆鞘となるため、日銀が赤字に陥ってしまう可能性がある。この点に関しては、従来も多くの試算が公表されてきたが、中でも強い衝撃を与えたのは、2%目標が16年度末に達成され、その後の金利を2%台と想定すると、日銀は最大年間6兆円もの損失を蒙るという、2年前に行われた藤木裕中央大教授らの試算結果であった【図表1】(注6)。

【図表1】QQEの「出口」における日銀の収益(試算)
総括的検証(下)-1

出所)藤木・戸村論文

おそらく、この藤木教授らの試算結果は幾分「過大評価」だと筆者は考える。まず第1に、インフレ率が2%に達しても市場金利が直ちに2%超になるわけではあるまい。現に、米国も利上げ開始から2年近くが経つ今でも金利水準は1%強であり、日本でも金利引き上げは徐々に行われる公算が大きい。第2に、前述のように長期金利ターゲットの調整は2%目標達成前からスタートすると考えられる。長期金利ターゲットが引き上げられれば、日銀の保有国債の平均利回りも徐々に上がっていくはずである。

ただその一方で、2%の達成時期が遅れ日銀が保有する国債残高が累増すれば日銀の潜在的赤字はさらに拡大するという面もある(注7)。日本経済研究センターの左三川主任研究員らの試算によれば、17年7月末時点の保有国債保有を前提にして市場金利を0.5%にするだけでも、1兆円超の赤字が暫く続く結果となっている【図表2】こと(注8)を考えると、「出口」での日銀の赤字に「危険はない」とする日銀関係者の発言は、あまりに楽観的に過ぎよう。もし日銀が本当に心配ないと考える根拠があるのであれば、「『出口』の議論は時期尚早」などと問題を先送りするのではなく、自らの試算を積極的に開示して市場や国民を安心させるべきであろう(注9)。また、定量的な試算は様々な前提次第で結果が変わってくるのは事実だが、上記のように定性的に(1)短期金利の引き上げがゆっくりであるほど、(2)長期金利ターゲットを早めに引き上げるほど、(3)国債保有残高の増加を抑制するほど、財政コストが小さくなることを示すことは、今後の政策運営に対する重要な指針を与えることになろう。

【図表2】小幅利上げの場合の財政コスト
総括的検証2.0下-2
出所)左三川・高橋論文

(「出口」の財政コスト:補遺)

なお、QQEの「出口」における日銀の損失だけに着目するのは片手落ちという面もあり、本当は日銀が国債を大量に買い込むことが経済の他の側面に及ぼす影響に眼を配る必要がある。その論点の1つは、QQEあるいはYCCによって長期金利が抑制された結果、政府の利子負担がそれだけ軽減されたということである。つまり政府+日銀で考えれば、財政コストは日銀の赤字よりは小さいということだ。とはいえ、コストが全くないわけではない。日銀の国債保有増(ピークは年間80兆円)は、政府の新規国債発行(最近は30兆円台半ば)を上回っているから、日銀の損失は政府の利子負担軽減より大きいはずである。さらに国債管理政策の観点から見れば、今のような低金利局面では政府債務の長期化を図るべきであり、現に財務省は30年債、40年債といった超長期国債を発行している。しかし、それを日銀が購入して超過準備に置き換えているため、結果的に政府債務はむしろ短期化する結果になってしまっている。

また、これとは逆に政府の債務を考える際に、日銀の赤字が忘れられているという問題もある。最近では、2020年度のプライマリーバランス黒字化が絶望的になる一方で、公債残高の対名目GDP比率の低下が強調されることが少なくない。このうち、プライマリーバランスは赤字でも足もとで公債残高の対名目GDP比率が低下しているのは、名目成長率が名目金利を上回っているためだが、「中長期の経済財政に関する試算」(17年7月時点)などでは、名目長期金利が上昇した後でも同比率が低下を続けるグラフが描かれている【図表3】。しかし、これは政府債務が長期化しているため、名目金利が上がっても政府債務の平均利回りはなかなか上がらないことを前提にしたものだ。実際には、政府+日銀で考えた統合政府の債務は短期化しており、金利が上昇すれば日銀サイドで赤字が発生することを忘れてはならない。

【図表3】中長期の財政バランス
総括的検証2.0(下)-3
出所)内閣府「中長期の経済財政に関する試算(2017年7月)のポイント」

もう1つの論点は、以前のように金融機関、特に地銀や信金等が長期国債を大量に抱えていれば、金融緩和の「出口」において彼らが巨額の損失を蒙り、金融システムの不安定化を招く恐れがあった。しかし、日銀が金融機関の保有国債を大量に買い取った結果、そのリスクは小さくなったというものである。実際には、日銀に大量に国債を売却したのは主にメガバンクであり、地銀や信金は未だに長期国債をかなり保有しているという事実はあるが、他の条件に変化がなければこの指摘自体は正しい。だが問題は、他の条件に変化がないとは言えないことだろう。第1は、金融機関が長期国債の保有を減らした一方で、不動産貸出やアパート・ローンを大幅に増やしたことである(この点に関しては金融庁や日銀も注意を促している)(注10)。金融緩和の長期化やマイナス金利の導入の結果、金融機関は別のところでリスクを取ったのであり、「出口」においては不動産貸出やアパート・ローンの面で金利リスクや信用リスクが表面化する可能性がある。第2は、金利上昇の心配が無くなった結果、財政規律の弛緩を招いたことである。おそらく金利上昇リスクが強く意識されていれば、消費増税が二度までも先送りされるといったことはなかったに違いない。QQEで金融機関保有国債は減ったかもしれないが、財政規律の弛緩を通じて国債残高そのものを増やしてしまった可能性を見逃すことはできない。

2.物価目標2%の意味:再考

(物価目標を巡る誤解)

物価目標に関しては、2つの大きな誤解があるように筆者は感じる。その1つは、デフレ脱却に対する過大な期待とその反動である。過大な期待の方は多分にリフレ派が「デフレさえ脱却すれば日本経済の未来は明るい」というお伽噺を振り撒いたことから生じたものだろう。だからアベノミクス、QQEの初期には、日本全体をある種のユーフォリアが包んだのだが、その時期は長くは続かなかった。拙著(『金融政策の「誤解」』)の第2章で詳しく説明したように、デフレは確かに有害だが、年率僅か0.3%の物価下落が「失われた20年」の主因であったとは考えられない。当然ながら、デフレが終わっても、それだけで潜在成長率が高まるわけではないから、低成長に変化はなかった。

そのことは比較的早く理解されたが、それでも「物価が上がらないと景気は良くならない」という思いは比較的最近まで共有されてきた。中国経済の減速などを背景に円高・株安が進んだ15年夏から16年前半にかけては、(本当は国内景気は決して悪くなかったのだが)ヘリコプター・マネーといった「物価を上げるためならどんな危険も厭わない」極論まで拡がったのは記憶に新しい(注11)。しかし昨年後半から世界景気がやや加速すると、日本国内では物価はさっぱり上げらなくても有効求人倍率はバブル期をも上回る人手不足という事態が到来した。今では、日本国民の多くはなぜ物価目標が必要だったのか、分からなくなってしまったのではないだろうか。

その反対に金融市場、特に短期金融市場や債券市場の関係者の間では「永遠のゼロ」論、すなわち日本では2%インフレなど到底無理だから未来永劫ゼロ金利が続くといった見方が拡がっている。彼らからよく聞くのは「日本の潜在成長率は1%未満だから2%目標には無理がある」という議論だ。確かに、(自然利子率≒潜在成長率は特殊な条件のみで成り立つものだが)潜在成長率が高ければ自然利子率も高いと考えられるので金融緩和が効きやすい、したがって物価目標の達成も容易になるのは正しいが、潜在成長率が低ければいつまでも物価は上がらないというわけではない。彼らの多くは「物価目標をもっと下げるべき」と考えているのでリフレ派とは正反対だが、本当に決して物価が上がらないのであれば、消費増税先送りどころか日銀ファイナンスでもっと減税を進めて行けば、日本を無税国家にすることができてしまう。「それは絶対に不可能だ」というのが、いわゆる「バーナンキの背理法」のエッセンスであり、これは究極的には正しい(注12)。

(2%目標の必要性:本質的でない説明)

それでは、なぜ2%の物価目標が必要なのか? これに対し日銀は通常3つの理由を挙げているが、まず筆者が本質的でないと考える2つの理由について検討しよう。その1つは、消費者物価指数の上方バイアスに着目するもので、本当の物価安定は若干の消費者物価指数の上昇に対応するというものだ。ただ、このバイアスは通常1%未満と考えられており、それだけで2%の物価上昇が必要という話にはならない。しかも、ここでバイアスと呼ばれるのは、消費者の効用の変化を正確に捉える「理想的なデフレータ」(注13)と現実の物価指数の乖離を意味するものである一方、金融政策が目標とすべき物価指数は必ずしも「理想的なデフレータ」と一致しないという基本的な問題がある。

現代の経済理論では、財・サービスの価格変更にはコスト(メニュー・コストなどと呼ぶ)が掛かるため、価格調整は完全には行われないと考える。そうすると相対価格に歪みが生じ、資源配分上のロスが発生する(価格変更のコスト自体は重要ではない)。このロスを少なくするには、価格調整が必要となるケースを少なくするのが望ましく、それには結局物価安定が望ましいということになるのである。一方、物価指数のバイアスのうち最も重要と考えられるのは品質変化バイアス、例えば物価指数が財の品質向上を十分反映できていないと品質対比で価格が高めに捉えられて上方バイアスになるというものである。この場合、「理想的なデフレータ」は品質向上分を反映する必要があるが、財の品質が向上するのは通常新製品の投入時である(注14)。しかし、新製品の価格は常に最適な設定ができるので、そこで資源配分の歪みは起こりようがない。だとすれば金融政策が目標とする物価指数においては、品質変化バイアスを考慮する必要はないのかもしれない(注15)(注16)。

もう1つの理由は、2%目標はFRBやECBも掲げるある種の国際標準であり、日本だけが例えば1%を目標とすれば、(購買力平価の論理により)長期的に円高が進むというものである。極めて分かりやすい説明であり、筆者も同じことを言ったり書いたりしたことがある。しかしよく考えてみると、これはやはり間違いだった。筆者らが若い頃に習った国際金融論では、変動相場制のメリットは他の国がどういう政策を行おうと、自国は自国の政策目標を追及することができる(その違いは為替レートの変動が吸収する)点にあるとして、これを隔離効果(insulation effect)と呼んでいた。もちろん、現実の変動相場制の経験は隔離効果が完全でないことを確認するものであったが、それでも「2%がグローバル・スタンダードだ」などと言うのは、変動相場制のメリットを否定する議論に外ならない。悪い言い方をすれば、日本国内に拡がる名目為替レートへの固執=円高恐怖症を利用した脅しbluffである(それとも、リーマン・ショック後に大幅に円高が進んだ時期、「金融緩和競争に敗れた」、「超円高に対し無策だ」などと強く批判された結果、日銀が負ったトラウマの反映なのだろうか)。

(金融政策発動のための保険料としての2%目標)

これに対し、筆者が物価目標を必要だと考える真の理由は、金融政策の発動余地を確保するための保険料(「糊代」と呼ばれることが多いが、「保険料」と考えた方がいいと思う)として最低2%程度のインフレが必要だという点にある。自然利子率≒潜在成長率とラフに考えると、潜在成長率が1%未満の日本では、平時のインフレ率がゼロならば平時の金利水準も1%足らずになってしまう。そうすると、経済に大きなショックが襲ってきても、金融政策の対応余地は極めて限られたものとならざるを得ない。実際に過去を振り返っても、97~98年の日本の金融危機の時期、08~09年のリーマン・ショック後など、最も強く政策対応が求められた時期の日本の金利水準は0.5%程度だったため、金融政策の対応余地はほとんど無く、結果として危機の衝撃を深刻化させてしまったという反省がある。

この点を踏まえるなら、大きなショックに対する保険は2%では足らないとの議論もあるが(注17)、せめて2%インフレ、3%弱の金利水準を常態としたいと日銀が考えるのは大変よく分かる。ただし、日銀が「どんな手段を使ってでも(whatever it takes)2%目標を達成する」と力んだのは、どうだったのだろうか。筆者はそこに少なくとも2つの問題点があったように思う。まず、この保険料の考え方では、2%インフレが日本経済にとって最も望ましい状態という理由ではなく、日銀の事情で2%インフレが欲しいと言っているに過ぎない。それでもQQEの初期には国民の間にデフレ脱却の過大評価があったから、こういう物言いもある程度認められたが、円安の下での実質賃金減少が明らかになった後は、「物価上昇は困ったことだ」という実感が国民の間で拡がっていくこととなった。

しかし、それ以上に大きな問題は2%を達成する明確なメカニズムを欠いたまま(何度も言うが単に目標を掲げたり、マネタリーベースを増やしたりしても確実に物価が上がる保証はない)、強引な量的緩和政策を長期にわたって続けたことだ(もっと早くYCCのようなスキームに移行すべきだった)。この結果、本来は金融政策の発動余地を作り出すための物価目標であったのに、むしろ政策発動の余地をほとんど失うという極めて逆説的な事態に陥ってしまったのだ(しかも、安倍政権は日銀緩和を頼りに財政健全化を先送りしているため、財政政策まで含めて政策余地が失われるという深刻な事態である)。

もちろん、これは日銀だけが読み違えたということではない。筆者自身、物価上昇の鈍さ、その背後にある日本経済の構造的問題の重さ(日銀の言うデフレ・マインドの根強さ)に何度も驚かされたことは、本欄において再三告白している。今となっては後知恵と言うほかないが、「総括的検証2.0」において日銀は構造問題に関する丁寧な説明を示したうえで、2%は中長期目標であることを明示すべきだろう(実質的にはすでに中長期目標化しているが…)。だが、2%目標を放棄する必要はない(「永遠のゼロ」は誤りである)。これまでの強引な手法について正直に反省を示すと同時に、粘り強く2%インフレ実現を目指すことの重要性(危機時に金融政策の発動余地を残しておくことは、日本経済の長期的パフォーマンスを改善するうえでとても大切なことである)を訴えていく必要がある。

3.マクロ政策の枠組み転換に向けて

(「共同声明」の精神の再確認を)

しかし、日銀の仕事はそれだけでは終わらない。本稿(上)では、景気は良くても物価は上がらない→日銀は金融緩和を続ける→金利上昇の心配はない→政府は放漫財政を改めないという形で、日本のマクロ経済政策が「物価至上主義」に陥っていること、その結果、近い将来に景気後退局面がやって来れば、金融政策も財政政策もほとんど対応余地がないというリスクを抱え込んでいることを指摘した。好景気・低物価の組み合わせなのだから、本来であれば金融政策ではなく、財政政策の方が幾分緊縮気味のスタンスを採ることで、いざという時の財政出動余地を作り出すことが望ましい(リーマン・ショック後に大規模な財政出動が可能だったのは、小泉政権下で相当程度財政再建が進んだおかげであった)。だが、元々2%を至上命題にしたのは日銀である以上、日銀にはマクロ政策の枠組み転換に向けて働きかける責任があると筆者は考える。

そのためには、「総括的検証2.0」において、日銀の2%物価目標と大胆な金融緩和は、財政健全化と構造改革の推進を政府の責任とした謳った13年1月の「政府・日銀共同声明」に基づくものだったことを再確認すべきである。物価目標を達成できずに政府の助力を乞うのは潔しとしないと日銀が感じるのはよく分かるが、アベノミクスが一定の成果を収め得たとすれば、それは日銀緩和に負う部分が大きいはずだ(安倍政権への「貸し」は相応にある)。他方で、現在の黒田執行部の任期はあと半年である。来年4月に誕生する新執行部に過度な重荷を残さないのが責任ある姿勢であろう。

(政治サイドにも変化の兆し)

もちろん、政治サイドが聞く耳を持たないのであれば(従来の安倍政権にはそうした傾向が強かった)、日銀の努力も無駄に終わるだけである。だが幸い、政治サイドにも変化の兆しが生まれつつあるように感じられる。それは、安倍首相が19年10月の消費増税は予定通り実行する一方で、その税収の少なからぬ部分を社会保障や教育の充実に充てる方向性を示したことだ。これに対し、そうすると20年度のプライマリーバランス黒字化の先送りにつながるため、「一段の財政規律の弛緩」と批判する声も聞かれるが、それはどうだろうか。まず、プライマリーバランス目標はとっくに非現実的になっていたのであり、「経済成長だけで財政再建ができる」というリフレ派的幻想を捨てることが重要だった。また、「税と社会保障の一体改革」では、消費増税による税収増を社会保障の充実に充てることとなっていたが、14年4月の増税では税収の大部分が借金返済に使われた。「これまで財源の裏付けなく社会保障費の拡大が進んでいたため、まずは借金返済優先」という論理は分からなくはないが、増税のメリットが感じられないために国民が消費増税への反発を強めたのではないか。その結果、増税自体が不可能になってしまうのであれば本末転倒である。

日本の社会保障を考えてみると、例えば医療については高齢者により高い自己負担を求めるほか、ホームドクター制の確立、保険者機能の強化、ICT化の推進(注18)など、介護では混合介護の拡大を通じた産業化など、効率化を進める余地は極めて大きい。しかし他方で、「社会保障を高齢者福祉に偏ったものではなく、子育て世代の支援など、よりバランスの取れたものにすべき」という小泉進次郎氏らの主張は正論だし、幼児教育や社会人教育(リカレント教育)の強化、さらには介護や保育の分野で働く人々の賃金を大幅に増やし、これ以上の人手不足の深刻化を食い止めることなど、充実を目指すべき分野も多い(注19)。

しかも、注目すべきことに安倍首相の提案は、それに先立って公表された民進党前原新代表の構想と大筋で軌を一にすることだ。財政健全化と(広義の)社会保障強化を併行して進めることが、ある種の社会的コンセンサスとなりつつあると解釈=期待すること(12年6月の「三党合意」の甦り)ができるかもしれない(もちろん、この方向を採れば最終的な消費税率はかなり高くならざるを得ない点を国民に丁寧に説明していくことが求められる)。であれば、この機に日銀が2%目標に向けて粘り強く金融緩和を続ける一方、政府は財政健全化と構造改革(これは経済のデフレ体質を改めるために是非必要だ)、社会保障の強化を同時に進めることを約束した「共同声明2.0」を打ち出すことができれば、大変に望ましいことだと思う。

注釈

(注1) : 実は、今年の初め頃まで筆者は「年内にも基調的なインフレ率が1%に近づいていけば、長期金利ターゲットが調整される可能性はあり得る」と考えていたのだが、足もとまでの物価の驚くべき弱さを踏まえ、今ではそうした予想は捨てた。しかし、(1)円安が物価へ波及するタイム・ラグはかなり長いこと(まだ暫く昨年来の円安の影響が出てくる)、(2)パートやアルバイトなどの時給上昇が徐々にサービス価格に影響していくことを考えれば、来年中に長期金利ターゲット調整の時期が来る可能性は排除できないと思う。

(注2) : 日銀はどういう条件が整えば長期金利ターゲットを調整するのかについて一切説明していないため、一部には2%目標が実現するまで10年債年利をゼロ近傍に抑えるとの見方もあるようだ。しかし、YCCをadjustable pegだと捉えると、fundamentalsであるインフレ率が1%近くまで上昇した時に10年債の金利をゼロ近傍に抑え付けるのは相当な無理があり、日銀は市場圧力によって調整を迫られるだろう。

(注3) : 筆者は本年4月のブルームバーグによるインタビューの中でこのアイデアについて語っている。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-04-10/OO13UH6KLVR601

(注4) : 具体的には“Strategies for Targeting Interest Rates Out of the Yield Curve”という検討資料が2010年10月のFOMCに提出されている。拙著(『金融政策の「誤解」』)でも、バーナンキFRB前議長が16年春の氏のブログで長期金利ターゲット案について議論していることを紹介したが、これも当時の議論を踏まえたものだと考えられる。この点に関しては、左三川郁子ほか[2017]:「狭まる金融政策の選択肢」、2016年度金融研究班報告、日本経済研究センターをも参照。

(注5) : この当座預金金利の階層構造については、昨年1月29日に日銀が公表した「本日の決定のポイント」という資料を参照。

(注6) : 藤木宏・戸村肇[2015]:「『量的・質的金融緩和』の出口における財政負担」、TCER Working Paper Series

(注7) : ブルームバーグの報道によると、2%目標達成時期を19年度末として同じ前提で藤木教授らが再計算したところ、日銀の赤字幅は最大10兆円弱に膨らむとの結果であったという。

(注8) : 左三川郁子・高野哲彰[2017]:「日銀の損失、今すぐ出口に向かうとどのくらいか」、2017年度金融班報告③、日本経済研究センター

(注9) : 日銀関係者と話をすると、彼らは長期国債保有/超過準備付利のポジションを続ければ、長期的に長短金利差によるターム・スプレッド分に見合う利益が得られると考えているという印象を受ける。しかし、大量の国債購入の目的はまさにこのターム・スプレッドを潰すことにあったはずである(実際、現在のターム・スプレッドはマイナスだろう)。だとすると、日銀がバランスシートの縮小を本格化しない限り、ターム・スプレッドから利益を得るというのは希望的観測に過ぎないと思われる。

(注10) : 人口減少に伴い貸家の空室率が高まっているにもかかわらず貸家建設が増えたのは、(1)相続課税の強化により節税インセンティブが高まったこと(更地に貸家を建てると相続税評価額が下がる)と、(2)マイナス金利導入で金融機関(特に地方銀行など)が不動産貸出を積極化させたため、と考えられている。そして、貸家の過剰供給によって家賃が下がれば、それは帰属家賃の下落を通じて消費者物価を押し下げるはずだ。日銀にとって極めて皮肉な結果と言えよう。

(注11) : なお、ヘリコプター・マネーは将来の増税を必要としないから、それだけ景気刺激効果が大きいという主張が誤りであることは拙著でも論じたが、翁邦雄[2017]:『金利と経済』(ダイヤモンド社)により詳しい説明がある。

(注12) : 「バーナンキの背理法」は日本のリフレ派がネット上で広めたものらしく、「量的緩和で必ず物価は上がる」という主張だとすると、バーナンキ自身が今年の日銀国際コンファレンスで認めた通り、それは誤りである。しかし、上記のように無限の財政ファイナンス=ヘリコプター・マネーを考えるなら物価は必ず上がるはずだ。ただし、これは「物価水準の財政理論」(FTPL、日本ではなぜか「シムズ理論」などと呼ばれる)で言うところの財政ドミナンスへの転換を意味するので、その場合インフレ率が2%になるのではなく、純粋理論的には物価水準が大きくジャンプする(現実には大インフレ?)ことになる。

(注13) : この「理想的なデフレータ」の数学的に厳密な定義は、早川英男・吉田知生[2001]:「物価指数を巡る概念的諸問題」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズで与えている。

(注14) : やや細かいことを言うと、米国の消費者物価指数はランダム・サンプリングが行われているため、市場の平均的な財の品質が向上していく結果、品質変化バイアスが生まれる可能性がある。しかし、日本の消費者物価指数では固定された銘柄の価格を追っていくため、品質変化が生じるのは基本的に新製品投入時となる。

(注15) : 東大の渡辺努教授らは、アパートの質は経年劣化していくのに、消費者物価ではこれを考慮していないため下方バイアスが生じるとして、アパートの品質調整の必要性を訴えている。しかし教授は、アパートの品質調整で家賃が下がっても、そこで価格調整が行われるわけではないから、日銀は品質調整前の物価を考えればよいと言う。これは、筆者がここで論じたことと(方向は反対だが)全く同じロジックに基づくものである。

(注16) : なお、筆者は時々『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(2015年、日経BP社)などの名を挙げて、新たな低価格、ないし無料のデジタル・サービスの登場によって、GDPが過少推計されている可能性を指摘してきた。これは物価指数の上方バイアスの拡大と解釈することが可能だが、金融政策はこの問題を気にしなくてもよいということになる。

(注17) : IMFのチーフ・エコノミストをも務めたMITのオリヴィエ・ブランシャール教授は、リーマン・ショック後の世界的な景気低迷を踏まえて、世界的に物価目標を4%程度に引き上げるべきではないかという問題提起を投げ掛けていた。しかし、日本が苦しんでいるように、現在多くの先進国は金融政策で物価を上げることの難しさに悩んでいる(物価目標政策の非対称性)ため、ブランシャールの議論はあまり広く受け容れられていない。

(注18) : この点に関しては、14年5月の本欄「社会保障改革の核心(上)」を参照。

(注19) : その一方で、財政規律が弛緩する中で無意味に膨張してきた歳出を思い切ってスリム化するのは当然である。例えば昨年、建設分野が深刻な人手不足に直面するにもかかわらず景気対策として大幅に増やした公共事業などは、老朽インフラの補修などを除いて真っ先に削減すべきだ。また、意味不明な官民ファンドの乱立なども大幅に整理すべきだろう。定員割れ大学救済のための大学無償化が論外であることは、本稿(上)で論じたとおりである。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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