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生物に学ぶイノベーション ~バイオミメティクスが拓く未来~

2015年1月22日(木曜日)

1. バイオミメティクスとは

「蛾の目って光を反射しないのです、だから敵から見つかりにくいのです。」養老孟司氏(東京大学名誉教授)のナレーションで始まる、大日本印刷株式会社様のモスアイフィルムのCMをご覧になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。モスアイフィルムは、蛾の目の表面にある微細な凹凸構造を模倣し、光の反射を抑えたフィルムで、薄型ディスプレイの映り込み防止などの用途で使われています。

このような生物の優れた構造や機能を模倣し、応用する技術開発のアプローチを、バイオミメティクス(生体模倣技術)と呼びます。モスアイフィルムの他にも、よく知られているものとしては、カワセミのくちばしを模倣して空気抵抗を低減した新幹線の先頭形状、ハスの葉の水をはじく微細構造を模倣した撥水スプレー、サメ肌を模倣して流体抵抗を低減した競泳用水着、モルフォ蝶の翅を模倣した色素を使わずに発色する繊維などがあります。

2. なぜ、今、バイオミメティクスか

近年、我が国では、バイオミメティクスの可能性に着目し、その研究開発や産業化の推進に向けた動きが活発化しています。環境省では、2013年から、持続可能な社会を実現するための手段としてバイオミメティクスに着目し、その実用化と普及促進に向けての検討に着手していますし、2014年には、総合科学技術・イノベーション会議が発表した「科学技術イノベーション戦略2014」に、分野横断技術であるナノテクノロジーのコア技術の1つとして「生体模倣を活用した新たなデバイスの要素技術開発、システム化」が盛り込まれています。また、特許庁では、バイオミメティクスに関する特許出願の技術動向調査を2014年に開始していますし、バイオミメティクスの産業化を推進するための産学連携プラットフォームとして、NPO法人バイオミメティクス推進協議会が2014年に発足しています。

生物は、太陽エネルギーの利用やエネルギーの効率的な利用・変換、自己組織化、希少元素を極力利用しない環境負荷の低い物質の生産によって、38億年もの間、生き続けてきました。こうした生物が生存していく術から、我々人間の大量生産・大量消費・非循環型社会を変えるためのヒントを得ることにより、持続可能な社会の実現が可能になるのではないかと、バイオミメティクスは期待されているのです。

さらに、バイオミメティクスは環境負荷低減への寄与にとどまらず、従来の工学的手法の限界を突破する手段として、イノベーション創出への貢献も期待されています。私たちは以前、バイオミメティクスの研究開発に取り組んでいる企業へのヒアリングを実施しましたが、そこでは、昨今、研究開発においてイノベーションのアイデアが出にくくなっている中、従来とは異なるアプローチとしてバイオミメティクスにその可能性を見い出し、研究開発に着手しているとの声も多く聞かれました。例えば、トンボの飛翔を模倣し、滞空、滑空などを可能にした小型飛行ロボットは、既存の飛行機の延長線上からは出てこなかったアイデアでしょう。このように、生物模倣の考え方を研究開発に取り入れることは、従来技術の延長線上では限界に達していた分野において、新たなブレークスルーを実現する手段としても大きな期待が寄せられているのです。

3. ハードの模倣からソフトの模倣へ

バイオミメティクスは、今世紀になって急速に発展したナノテクノロジーによって電子顕微鏡が広く普及してきたことで、生物のもつ微細構造とそこから発現する機能の解明が可能になり、その結果、それらを模倣した材料の開発が活発に進められてきたことにより発展してきました。

しかし、今後は、近年の情報技術、神経科学などの発展を受け、生物のもつ構造を模倣する「ハードの模倣」のみならず、生物が行っている目には見えない情報処理や制御の仕組みを模倣する「ソフトの模倣」が活発化するのではないかと考えています。

その一例として、魚群の泳ぎのルールを模倣した、ぶつからないロボットカーが挙げられます。これは自動走行への応用を目指して開発された技術ですが、車両が群になって自動走行するためには、各車両が独立して、その場に応じた適切な動きを行うことに加え、周囲の車両の挙動変化に対して柔軟に走行制御を行うことが必要になります。しかし、様々な走行シーンにおける全ての状態に対して、個別に制御ルールをつくることは非常に複雑で、現状では困難な状況にあります。この課題に対し、ぶつからないロボットカーでは、魚群が泳ぐ際に行っている、一番近い仲間や障害物との距離に応じて、「衝突回避」、「接近」、「並走」を切り替えるというシンプルな行動ルールを適用することにより、効率の良い、安全な群走行を実現しています。

こうした生物の優れた情報処理・制御の仕組みは、個別のプロダクトだけでなく、それらを制御する仕組みにも応用可能であることから、今後、バイオミメティクスの産業へのインパクトは、より拡大することになるでしょう。

4. 異分野の壁を乗り越えて、これからの社会をつくる

これまで述べてきたように、バイオミメティクスは、ものづくりだけにとどまらず、プロセスやシステムなど、幅広い産業や領域での適用可能性を秘めています。しかし、それを加速し、実現していくための課題も残されています。それは、生物学と工学の連携です。バイオミメティクスにおいては、生物学と工学の両方の分野の知識が必要になりますが、そうした研究者はまだまだ少なく、また、生物系と工学系の研究者による異分野連携も十分に進んでいるとは言えない状況です。

こうした中、2012年からスタートした文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「生物多様性を規範とする革新的材料技術」では、生物学と工学の関連する用語やデータを相互に結びつけ、研究開発者の発想を支援する「バイオミメティクス・データベース」の構築が進められています。前述した産学連携プラットフォームとしてのNPO法人バイオミメティクス推進協議会の活動も含め、今後は、このような取り組みが進展していくことにより、生物学と工学の異分野連携が加速され、バイオミメティクスの研究開発が促進されることにより、持続可能な社会の実現と、それを踏まえたさらなる産業の発展が推進されることになるでしょう。

「生物なんて自分には関係ない」とお考えの読者の方もいらっしゃるかもしれません。「自分は研究開発者ではないから関係ない」と思われる方も少なくないでしょう。しかし、交通システムなどの社会システムや仕組みに、今後、生物模倣の考え方が入ってくるということは、全ての人のビジネスや生活に、バイオミメティクスが関わってくる可能性があるということではないでしょうか。「環境」、「社会」、「経済」の仕組みが有機的に連携する今日、皆さんが抱えている様々な課題に対し、技術経営の側面のみならず、イノベーションに向けての多種多様な取り組みや視点についても、生物から学べることは多々あるに違いありません。是非とも、バイオミメティクスに注目し、自らの様々な活動に、これを活用してみてください。

参考文献

  • 大日本印刷株式会社 DNPenguin広報室
    (http://dnpenguin.dnp/mirai/02_motheye.html)Open a new window
  • 文部科学省 平成24年度科学研究費補助金 新学術領域研究(研究領域提案型)「生物多様性を規範とする革新的材料技術」
    (http://biomimetics.es.hokudai.ac.jp/)Open a new window
  • 環境省総合環境政策局. 自然模倣技術・システムによる環境技術開発推進検 討成果報告書. 2014. p. 18
  • 藤田晋. 生態模倣技術を適用したぶつからない車実現のための取り組み : 次世代バイオミメティクス研究の最前線―生物多様性に学ぶ―. バイオミメティクス研究会. シーエムシー出版. 2011. p. 303-308.

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田中 寛樹(たなか ひろき)
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長谷川 誠 (はせがわ まこと)
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