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トップメッセージ

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富士通のDNA

限りなき発展

「これから“限りなき発展”という言葉を当社の合言葉としていこう」。これは、1959年、第5代社長に就任した岡田完二郎が社長就任数年後の社内会議で発した言葉です。新しい技術を取り入れ開発を続けていくこと、まだ開拓できていない需要を掘り起こし販路を開拓すること、これらを実現することで企業はいつまでも発展していくでしょうと語っています。
文系出身でコンピュータには全くの素人だった岡田は、難解な専門書を読み、若い技術者たちから知識を吸収することでコンピュータの将来性を認め、その事業化に力を入れました。1962年の年頭あいさつでは「コンピュータに社運を賭ける」と明言し、「通信と電子の富士通(Communications & Electronics)」という新しい経営方針を打ち出します。それから10年足らずで富士通は国産トップに、さらに1981年には国内トップのコンピュータメーカーとなり、IoTやAIの時代を迎えた今も発展を続けています。

ともかくやってみろ

1976年、第8代社長に就任した小林大祐は、「本に書いていることを鵜呑みにするな。まずは自分でやってみよう。」「ダメだと思ってももう一頑張りしてみよう。」という思いを「ともかくやってみろ」という言葉に込めました。コンピュータ事業の初期から開発、営業、さらに経営者として牽引してきた小林自身の体験から出てきた言葉です。
自らの意志で様々なことに取り組むと、本や人の話だけでは気付かなかった新たな課題が見えてきます。その課題の解決に向け、想像力を働かせ知恵やアイデアを出すことで技術レベルが上がり一歩前進します。
幅広いビジネスフィールドを持ち、技術の進歩が早いICT業界では、今までになかった新たなイノベーションが求められています。社員一人ひとりが自らチャレンジし創造していくことで、富士通も一歩先に伸びていくことができます。 

「志を持て」「夢をかたちに」

富士通が国内トップのコンピュータメーカーに成長した1981年、第9代社長に就任した山本卓眞は、「志を持て」という言葉を若い社員に贈りました。
また、社長在任中の1986年には「夢をかたちに」をスローガンとして採用しました。
山本は、ソフトウェアやハードウェアの開発でコンピュータ事業を支え、社長就任後は「世界の富士通」を目指し、事業のグローバル化を加速させていきました。特に若い社員には、個人では達成できないような大きな目標(志)を立てること、そしてそれを達成したときの喜びや充実感を味わうことの重要性を説いています。最初に立てる目標は、現実的でなかったり、夢のように思えることもあったかもしれませんが、先端技術にアイデアをもりこむことで、そうした夢を実現してきました。
お客様の夢や人類の夢、富士通の夢を実現し、富士通や日本だけでなく、他国の発展も視野に入れた富士通の挑戦は、これからも続いていきます。

「ほんとうに感動する人間、感動することを知る人間になってほしい」

1954年に完成した日本初の実用リレー式コンピュータ「FACOM100」から、1960年代後半に次々と発表し、富士通のコンピュータ事業の礎を築いた「FACOM230シリーズ」1974年に発表した富士通初の国際互換機Mシリーズまで、常に開発の中心には池田敏雄がいました。
コンピュータ開発の初期を「震えるほどの感動と緊迫感と楽しさの時代をもてたことは、技術屋として幸せだった。」と振り返り、「本当に感動したときには、無条件に取り組んでみたいという気持ちになる。」と語っています。自らの革新には外部からの要請ではなく、自分の内なるものから行うべきであると考えた池田は、本質を見極めるための努力や苦労を厭わず、研究に没頭すると時間や場所を問わず作業に集中しました。その一方で、他人のやったことにも率直に感動し、謙虚に評価する人でもありました。
「感動する心」は、今も富士通社員一人ひとりがイノベーションを生み出す原動力となっています。

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